「わたしとHIV in 福岡」
vol.3「心理カウンセリングとの出会い」by 勝水 健吾
ボクはHIV陽性と告知を受け、拠点病院に通院し始めてすぐに、臨床心理士のKさんの心理カウンセリングを受けることにしました。
最初の2年ほどは月に2回、受診時と平日の仕事終わりに実施していただきました。当時ボクは、拠点病院から電車を乗り継いで1時間ほどの所に住んでいたのですが、仕事終わりの心理カウンセリングはいつも19時ごろから始まりました。
ひっそりと静まり返った病院の診察室の一室で、1時間ほどお話を聴いていただいていました。Kさんはいつもどんな時も満面の笑顔で出迎えてくださり、その温かい雰囲気でボクのことを受け止めてくださいました。
告知を受けてしばらくの間、苦しい思いをいつも抱えていたのですが、その原因が分かりませんでした。何が理由でこんなに苦しいのか…だから心理カウンセリングで、ボクの心の奥深くで複雑に絡んだ糸を、ゆっくりと解きながら、その答えを見つけていこうとしていました。
それから2年ほど経った頃でしょうか。Kさんから「勝水さんのケースをエイズ学会で発表したい」と申し出がありました。その件については承諾をしたのですが、一つだけ条件を出しました。それは「学会発表で配布する抄録を見せて欲しい」というものでした。
当時ボクは医療従事者として働いていたため、一人の医療従事者として、心理の専門家がボクの心の中をどのように考察しているのかを知りたかったのです。
Kさんは快諾してくださり、ボクはある日の心理カウンセリングの場で、その抄録を見せていただきました。その発表の副題は「他者による自己受容から自己による自己受容」でした。
それを読んでボクはハッとさせられました。ボクはHIV陽性者である自分自身を「他人が受け入れてくれるなら、ボク自身も受け入れよう」としていたのです。それはボク自身がHIVに対して内なる偏見を持っていた証拠でした。
そんな体験をしてからボクは「いつか心理職に就きたい」と思うようになりました。人の心に寄り添い、人の心を動かすお手伝いがしたい…そう思い始めて約20年が経過しました。
そして2023年に「産業カウンセラー」という資格を取得し、念願の「心理職」に就き、今では個人事業主として日々、様々な方のお話を聴かせていただいております。
いつも何かに迷った時は、Kさんと過ごした時間を思い出し「Kさんならどうするだろうか?」と心の中でいつも考えています。そして何かの瞬間にKさんから言われた一言やエピソードを思い出すことが、今でもよくあります。
それが約20年経った今だからこそ、当時のKさんが本当に伝えたかったであろうことが、やっとボクの中に響いてくることがあります。そんなことがあると時々ボクは悔やみます。「あの時、どうして気付けなかったのだろう」と。けれど、こうも思います。「今だからこそ、気付けたんだ」と。
勝水 健吾:HIV陽性者・50代・男性・ゲイ