「わたしとHIV in 福岡」
vol.2「或るアラ還のひとり語り」by 84110
今から33年前の話をします。そんな昔話、と思わないでください。33年前、私はHIV陽性の診断を受けました。
「なぜそんな昔に感染が分かったの?」「30年以上前に感染が分かって何で今も生きてるの?」正直そう思っている人もいるかもしれません。
今は性行為で感染する人が多いと思いますが、私は今から40年以上前にアメリカから輸入された血友病の治療で使われた血液製剤によってHIVに感染されられました。その血液製剤にはHIVに汚染されていました。実は私は血友病の患者で薬害HIVの感染被害者です。
薬害HIV、薬害エイズという言葉、皆さんは聞いたことがありますか?1980年代後半から90年代にかけて社会現象にもなった医療犯罪です。ここで薬害HIVの話をすると字数がとても足りないので、感染を告げられた時の話をします。
1992年の4月、私は転勤で九州のある街にいました。血友病の治療のため紹介された病院で主治医になる医師と対面しました。
紹介状を一読した医師は「HIVの検査をしたことはありますか?」と聞いてきました。私はそれまで検査を受けたことがなかったのでそのように伝えると「検査させてください」と言われました。
私に断る理由はなかったので素直に応じました。この時点で薬害HIVの話題が出て10年ほど経っていましたが、なぜそれまで検査を受けなかったかと言うと、主治医が私にHIV、エイズの話を一切してこなかったからです。
私には感染しているリスクが高かったにも関わらず、です。単純な性格だった私は「医師は私にHIVの話をしない=私はHIVに感染していない」という式ができてしまいました。だから検査の話をされたときは「見る人が見れば、自分はHIVに感染していると思われるんだ」と思い、かなり絶望しました。
後日、感染の告知を受けるのですが、この時は「あ、やっぱりな」と自分でも驚くほど冷静でした。むしろ検査を受けた日のことのほうがショックが大きかったです。ただこれから始まる治療については不安があったことを覚えています。
現在とは事情、状況が違うので、私の経験が参考になるかは分かりませんが、HIVに関する歴史の中の事実の一つとして書かせていただきました。
当時はHIV、エイズは「死の病」と言われていましたが、今では医療や治療環境も進歩しているので、適切な治療を受けていればHIVは死ぬ感染症ではありません。
これは今まで33年間(感染した時期からだと40年以上)HIVとともに生きてきた、そしてこれからも生きていく私の率直な感想です。
84110:HIV陽性者・50代・男性・異性愛者