HIV/AIDSの歴史
1982年
不安と混乱
ニューヨーク・タイムズの記事などでゲイの病気というイメージが定着していった。
また、AIDSという言葉が初めて使われた。
1982年
ウガンダで「やせ病」の報告
ウガンダ南西部のビクトリア湖のほとりに位置するラカイ地区で働く医師が医学雑誌「THE LANCET」に、地元で「スリム病」として知られている新しい致命的な消耗性疾患について報告。「スリム病」は、極端な体重減少や継続的な発熱、下痢、消耗を引き起こすため、現地で「スリム病」「やせ病」と呼ばれていたが、1985年にAIDSと判明。
71人の患者のうち63人がHTLV-IIIとの強い関連が見られるものの、カポジ肉腫の発症はあまり見られなかったが、カポジ肉腫は元々この地方の風土病でもあったという。
患者の多くは、ビクトリア湖を渡った商売をしている密輸商人であり、この病気は旅行好きの大人がかかる病気だと考えられ、一般的には魔術が原因だとも考えられていた。流行が広がるにつれ、長距離トラックの運転手や娼婦がハイリスク集団として観察され、異性との接触によって病気を獲得している可能性が高いことがわかってきた。
この研究の筆頭著者の1人であるデビッド・セルワダは、後にアメリカのゲイ男性のケースについて読んだが、リンクを見るのは難しかったと述べた。
ウガンダはサハラ以南のアフリカで最初にHIVの流行を経験した国の一つとなり、最初の症例が確認されて以来、国中で感染、罹患、死亡が非常に急速に増加し、初期には6ヶ月ごとに倍増したため、1987年、HIV/AIDS対策として国家エイズ対策計画が立ち上げらた。基本情報の普及、輸血サービスの活性化、疫学的サーベイランスなどが行われたが、妊産婦のHIV感染率は1992年までに都市部で30%、農村部で3%にまで上昇し、1988年までに推定100万人のウガンダ人が感染していると考えられ、ウガンダはアフリカで最も高いHIV感染率の1つとなっていった。
参考
- "Slim Disease in Uganda and Its Association with HTLV-III Infection" THE LANCET
- “HIV Historical Timeline” PEPFAR
- "'Slim' reports, HIV Timeline" Avert
- "Fighting HIV/AIDS: is success possible?" SciELO - Scientific Electronic Library Online
- "Human immunodeficiency virus and AIDS in Uganda" National Library of Medicine
- "HIV / AIDS Challenge in Uganda" Slide Serve
- "The History of AIDS in Africa" Black History Month
- 「第2章 ウガンダ―エイズ対策「成功」国における政策と予防・啓発の果たした役割」吉田 栄一/ Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所 / Institute of DevelopingEconomies, Japan External Trade Organization(IDE-JETRO)
- 「ウガンダのHIV/AIDS対策と性をめぐる『公序良俗』のゆくえ」中澤 芽衣/JANES ニュースレター NO.23
- "A journey to the heart of Africa’s Aids epidemic" INDEPENDENT
1月4日
ゲイ・メンズ・ヘルス・クライシス(GMHC)設立
前年の8月に自宅アパートで流行が急拡大している感染症について集会を開いたラリー・クレイマーと、ネイサン・フェイン、ラリー・マス、ポール・ポパム、ポール・ラポポート、エドマンド・ホワイトらは正式にGMHC(Gay Men’s Health Crisis/ゲイ男性の健康危機)を設立。主な目標は、提唱し、意識を高め、研究のための資金を調達し、「エイズの流行を終わらせ、影響を受けたすべての人々の生活を高めるために戦う」こととしている。
エイズ・ホットライン、ニュースレター、ミーティングスペースや、PWA(People With AIDS/エイズ患者)の日々の暮らしをサポートするための画期的なバディ・プログラムなど、ゲイ・コミュニティーと医療従事者との連携を築くことから始めた。
5月、ボランティアのロジャー・マクファーレンは自宅の電話にGMHC情報とカウンセリングホットラインを設置しました。彼は最初の夜、心配しているゲイ男性から100件の電話を受けた。
同年後半には、マンハッタン西22丁目に最初のオフィスを開設。
GMHCはニューヨークを代表するエイズサービス組織となり、ニューヨーク市5区で毎年約1万人のHIV/AIDS患者・感染者にサービスを提供。GMMHCは、HIVおよび性感染症検査、食料および栄養プログラム、住居支援、労働力開発、法的支援、福利厚生や健康保険に関する支援、精神衛生および情緒的支援、薬物使用カウンセリングなどを継続的に提供することになる。
現在、GMHCのクライアントの60%以上は有色人種で、75%近くがLGBTQ+であり、80%以上が貧困層と言われている。
参考・引用
2月8日
2月9日
2月19日
カナダでも初の死者
カナダ、オンタリオ州ウインザー出身の43歳のビリー・コヴィンスキーというゲイ男性がこの日に亡くなったと、3月27日のカナダ疾病週報報告に掲載された。週報は、米国でゲイ男性を襲っている恐ろしい疫病がカナダにも来たことを医療関係者に警告。ビリー・コヴィンスキーは後にカナダでのエイズによる最初の死者と判明したが、長い間、名前は発表されなかった。
1979年8月、コヴィンスキーは免疫力が低下しているため、治療を受けることになった。主治医のジョン・ドハーティ医学博士は、コヴィンスキーは1981年3月に彼のオフィスを訪れ、リンパ節の炎症と免疫の異常値を発見。
1ヵ月後の経過観察では、コヴィンスキーの免疫は再び正常値を示した。そして、1981年5月、別の医者で血液検査を受けたところ、白血球が極端に少ないことが分かった。
ロンドンの大学病院でも一連の検査を受けたが、ドハティー博士の症例報告によると、白血球減少、リンパ球の減少などが見られたとある。彼は8日間入院し、その後診断も治療計画もないまま退院した。
コヴィンスキーは、自分の健康問題に対する答えを探し続けたが、医者からはほとんど何も教えてもらえなかった。ドハーティ博士の報告によると、彼は非常に落ち込んで、1981年8月に薬の過剰摂取で自殺を図ったという。
2日間の入院の後、トロントに送られ、4週間の精神科治療を受けることになった。1981年12月、コヴィンスキーは、口から胃までの食道の粘膜全体を覆うカンジダ症と診断された。
1982年1月5日、コヴィンスキーは最後の入院をした。報告書によると「開胸上葉生検」を含む一連のテストが彼に行われたが、コヴィンスキーはそのわずか6週間後に43歳の若さで亡くなった。
コヴィンスキーの姉のアンナは、「彼はとても素晴らしい人でした。彼は2つの人生を生きました。ひとつは、異性愛者としての公的生活。もうひとつは、誰も知らない人生です。それはとても過酷なものだったと思います。」
参考・引用
3月3日
新しい病気に関する会議開催
アトランタの米国疾病管理予防センター(CDC)で、米国公衆衛生局(PHS)による新しい病気に関する会議が開催された。
議論は、この病気は伝染性のものなのか、それとも免疫抑制性のものなのかが焦点となった。
参考・引用
4月1日
4月
献血手帳から供給欄削除
当時、輸血医学は全血輸血から成分輸血へと急速に転換し、それに伴い需要量も激増傾向にあった。
日本赤十字社にとり最大の課題であった献血者の確保と必要とされる血液の安定的な確保のため、献血手帳には「あなたやあなたのご家族が輸血を必要とされるとき、この手帳で輸血が受けられます」と表記し、献血を推進していた。
しかし、その根底には預血思想が強く流れており、献血の基本理念とは相容れないものだった。そのため、輸血を受ける際に献血手帳を確保しておく必要が生じ、精神的・経済的負担を強いられるとして社会批判が高まった。
こうした問題を引き起こしている根本原因は、献血手帳の預血的運用にあることは明らかであるため、人道の精神と人類愛に根差す社会的献血を推進しようと、1982年(昭和57年)4月、献血手帳から供給欄が削除され、輸血が必要なとき、誰でも安心して必要なだけ輸血を受けられるようになりました。
参考・引用
4月2日
4月8日
GMHCが最初のエイズ募金活動「SHOWERS」を伝説のクラブ「パラダイス・ガレージ」で開催
設立したばかりのGMHC(ゲイ・メンズ・ヘルス・クライシス)は、ニューヨークのゲイの聖地とも言われる伝説のクラブ「パラダイス・ガレージ」で、「シャワーズ(SHOWERS)」と呼ばれる最初の募金活動を開始し、5万ドル以上の募金を集めることに成功した。
会場となったパラダイス・ガレージは、1977年から1987年にかけてニューヨークで最も影響力のある会員制のクラブで、人種、階級、性的アイデンティティに基づく差別もなかったことから、性的・民族的マイノリティ(主にアフリカ系アメリカ人のゲイ)を中心とした熱心なパトロンの存在があった。
また、レジデントDJのラリー・レヴァンは、リチャード・ロング&アソシエイツのリチャード・ロングと共同で、ニューヨークで最高とされる受賞歴のあるサウンドシステムの開発、設計、組み立てを行い、彼が選んだレコードは、ダンスミュージックのサウンドを変えたと言われている。彼が演奏した曲はすぐにラジオに流れ、ニューヨークのVinylmania Recordsでも紹介された。彼の音楽的影響は、アメリカやヨーロッパのダンスクラブに広がり、ハウスミュージックの先駆けとして認識され、現代のナイトクラブの発祥の地とされている。
エイズの流行と音楽の変化、そして個人経営者のマイケル・ブロディがエイズと診断されたことが、パラダイス・ガレージに影響を与えた。1987年9月26日、ブロディが亡くなる2カ月前にクラブは閉鎖され、2018年に取り壊されたが、今日、パラダイス・ガレージは、社交の場として、また音楽に影響を与えたユニークな場所として、敬愛の念をもって記憶されている。
参考・引用
4月13日
新しい病気に関する米国初の議会公聴会
ヘンリー・ワックスマン下院議員が、後にAIDSとして知られるようになる病気について、ロサンゼルスのゲイ&レズビアン・コミュニティ・サービス・センターで初の議会公聴会を開催。
公聴会では、米国疾病管理予防センター(CDC)のカポジ肉腫と日和見感染症に関するタスクフォースの責任者であるジェームズ・カラン博士が、すでに数万人がこの病気の影響を受けている可能性があると推定。
参考・引用
4月20日
5月9日
サンフランシスコで財団設立
サンフランシスコの皮膚科医マーカス・コナント博士、ポール・ヴォルバーディング博士やゲイ活動家のフランク・ジェイコブソン、クリーブ・ジョーンズ、リチャード・ケラー、ボブ・ロスが共同で、地元のゲイ男性にカポジ肉腫に関する情報を提供すること目的に、カポジ肉腫研究教育財団(The Kaposi's Sarcoma Research and Education FoundationExit Disclaimer)を設立。
設立当初は、ゲイ・コミュニティの中心地カストロ・ストリートに小さなオフィスを構え、スタッフはすべてボランティアで運営し、限られた数のクライアントを診察し、1本の電話で情報提供と紹介ホットラインで対応。
まもなく、組織は信頼できる情報源として地元および全国的に認識され、流行が拡大するにつれて組織は地元や州からの資金と草の根コミュニティの資金調達で拡大し、有給のスタッフを雇うことができるようになった。
1983年に全国支部と地方支部に分かれ、1984年に地方支部はサンフランシスコAIDS財団と改名、全米カポジ肉腫研究教育財団から正式に提携を切り離した。1984年2月、サンフランシスコ・エイズ財団は非営利団体として設立された。
サンフランシスコ・エイズ財団は、セクシャル・ヘルスと薬物使用に関するサービス、政策提言活動、地域社会への奉仕活動を通じて、HIVに最も影響を受ける地域社会のために健康、福祉、社会正義を推進し、現在、年間2万5千人以上にサービスを提供している。
参考・引用
5月10日
5月11日
ニューヨーク・タイムズ紙が「GRID(ゲイ関連免疫不全)」と報道
ニューヨーク・タイムズ紙は、「新ホモセクシャル障害、保健当局を心配させる」という見出しで、これまでに136人に致命的な影響を与えた「免疫系の深刻な障害」について報道。
この記事では、一部の研究者が新たな流行を表現するために使用している「GRID(ゲイ関連免疫不全:Gay Related Immune Deficiency)」という言葉を初めてメディアで掲載し、HIV/AIDSが同性愛にのみ関係しているという認識を広めることとなる。
記事では、異性愛者の女性13例も紹介しているが、「ほとんどの症例は、同性愛の男性、特に多数の性的パートナーを持ち、身元不明の匿名パートナーを持つ男性で発生している」と述べている。
初期の研究では、ハイリスク・グループと呼ばれる、明らかにエイズにかかるリスクが高い人のカテゴリーが引き出され、ゲイ男性(Homosexual)、ヘロイン使用者(Heroin Users)、ハイチ人(Haitians)、後に血友病患者(Hemophiliacs)も加わり、その頭文字を取って4Hクラブと呼ばれ、さらに売春婦(Hookers)もリストに加わり5Hとなった。
後に病名がAIDSとなっても当時の強い固定観念は現在でも消えること無く、偏見や差別が続いている。
参考・引用
- "A Timeline of HIV and AIDS" HIV.gov
- "HISTORY" STORIES | THE AIDS MONUMENT
- "NEW HOMOSEXUAL DISORDER WORRIES HEALTH OFFICIALS" The New York Times
- "AIDS: what drove three decades of acronyms and avatars?" THE CONVERSATION
- “AIDS Crisis Timeline” HISTORY
- 「ゲイ関連免疫不全」WikipediA
- "When Fauci Demonized Gays" The Focus with Mark Hyman
5月31日
ロサンゼルス・タイムズ紙で一面トップ記事
「謎の熱病が大流行している」というタイトルで、メジャーの新聞で初めての1面トップ記事としてエイズに関する記事が掲載された。
参考・引用
6月11日
CDC、MMWRでカポジ肉腫と日和見感染症355例の調査の結果を報告
米国疾病管理予防センター(CDC)は羅漢率と死亡率週報(MMWR)で、カポジ肉腫と日和見感染症355例の調査の結果を報告した。
355人のうち、同性愛またはバイセクシュアル男性281人(79%)、異性愛者男性41人(12%)、性的指向不明の男性20人(6%)、異性愛者女性13人(4%)だった。
薬物使用情報がわかっているニューモシスチス・カリニ肺炎の患者のうち、静脈内薬物を使用したことがあるのは、異性愛者の男性では63%、異性愛者の女性では57%であったのに対し、同性愛者の男性では14%であった。これは血液を介した感染の可能性を暗に示唆しているといえる。
参考・引用
6月18日
CDC、流行の疫病は性感染の可能性を示唆
米国疾病管理予防センター(CDC)が、ゲイ男性におけるカポジ肉腫およびその他の日和見感染症の原因として、性交渉による感染を初めて示唆する羅漢率と死亡率週報(MMWR)で論文を発表。
この論文は、1981年6月1日から1982年4月12日までの19人の症例被験者を対象とした研究について報告。ロサンゼルス郡とオレンジ郡のカポジ肉腫とニューモシスチス・カリニ肺炎の症例被験者間に個人的な繋がりの可能性に続き、生存している8人の被験者と亡くなった11人の被験者の親しい友人のうちの7人との聞き取り調査が行われ、19人のうち13人の性的パートナーに関するデータを収集できた。
この研究では、調査の対象者が関係する他者(親しい友人)から立証されるか、感染の可能性を否定できないと報告された場合、「性的接触」が成立するとした。
発症前5年以内に9人がカポジ肉腫、またはニューモシスチス・カリニ肺炎に罹患した他者と性的関係を持ったことがあると分かった。ロサンゼルス郡の患者7人は同じくロサンゼルス郡の他の患者と性的関係があり、オレンジ郡の2名はカリフォルニア州外に住むカポジ肉腫患者と性的接触があった。この9人の患者のうち4人はカポジ肉腫またはニューモシスチス・カリニ肺炎に罹患した患者からの感染であり、3人はすでにカポジ肉腫の症状がある人と性的接触を持った後に発症し、そのうち1人は性的接触の約9ヶ月後、別の1人は約13ヶ月後、3人めの被験者は約22ヶ月後にそれぞれカポジ肉腫を発症していた。
13人中、他の4人のカポジ肉腫やニューモシスチス・カリニ肺炎の症例は、報告があった患者との性的接触は不明だったが、カポジ肉腫の1人はニューモシスチス・カリニ肺炎の患者2人と共通の健康な性的パートナーを持ち、別の1人はカリフォルニア州外のカポジ肉腫の友人との性的接触があったと報告し、ニューモシスチス・カリニ肺炎の2人は、ハッテン場であるバス・ハウスでの不特定の相手との性的接触が主(約80%以上)だった。
1982年当時、ロサンゼルス郡には推定18万5千人〜41万5千人のゲイ男性が住んでいた。1977年から1982年にかけて、ロサンゼルス郡の各ゲイ男性が年間13人から50人の異なる性的パートナーを持つと仮定すると、カポジ肉腫またはニューモシスチス・カリニ肺炎の11人の患者のうち7人が、ロサンゼルス郡の他の16人の報告患者のいずれかと性的接触を持つ確率は遠いように思われる。この同じ仮定で、オレンジ郡の異なる地域に住む2人のカポジ肉腫患者が、同じカポジ肉腫のカリフォニア以外の人と性的接触を持つ確率はさらに低いように思われる。このように、ロサンゼルス郡とオレンジ郡での観測は、予期せぬ患者群の存在を暗示している。そして、米国疾病管理予防センター(CDC)は、「同性間の性行為によって、感染因子が感染している」という仮説を打ち出した。
まだ同定されていない感染因子が、同性愛者の男性におけるカポジ肉腫やニューモシスチス・カリニ肺炎の原因と思われる後天性細胞性免疫不全を引き起こす可能性がある。もし感染性物質がこれらの病気を引き起こすのであれば、患者の性的パートナーはカポジ肉腫やニューモシスチス・カリニ肺炎を発症するリスクが高いかもしれない。
カポジ肉腫やニューモシスチス・カリニ肺炎患者との性的接触が後天性細胞性免疫不全に直接つながるわけではなく、単にある種の生活スタイルを示しているにすぎない。このようなライフスタイルを共有する同性愛者の数は、一般集団の同性愛者の数よりもはるかに少ないかもしれない。
米国疾病管理予防センター(CDC)は、特定の生活様式を共有する同性愛者の男性において、「(感染物質ではなく)何らかの物質」に暴露されて免疫不全になる可能性を示唆している。
この報告書は、亜硝酸アミル(通称「ポッパー」)とカポシ肉腫のリスク増加との関連性を示唆するニューヨークの報告書を引用している。この仮説は、後に科学的に否定されることになる。
参考・引用
- "HISTORY" STORIES | THE AIDS MONUMENT
- "A Timeline of HIV and AIDS" HIV.gov
- "A Cluster of Kaposi's Sarcoma and Pneumocystis carinii Pneumonia among Homosexual Male Residents of Los Angeles and range Counties, California" MMWR, June 18, 1982
- "MMWR. Morbidity and mortality weekly report, Vol. 31, no. 23, June 18, 1982" CDC
6月27日
セーファーセックスについて最初のパンフレット
ゲイの活動家グループ「The Sisters Of Perpetual Indulgence(永久贖罪の尼僧たち)」は、ゲイ男性の間にカポジ肉腫やその他の免疫異常が広がることへの不安や懸念が高まる中、安全なセックスと性感染症について、世界で最初のパンフレット「Fair Play!」を作成し、サンフランシスコのゲイ&レズビアン・パレードで16,000部配布した。
シスター・フローレンス・ナイトメア(1981年に「ゲイ癌ジャーナル」を発行したボビー・キャンベル)とシスター・ロズ・エレクション(バルーク・ゴールデン)が書いた「Fair Play!」は、極めて深刻なメッセージをユーモアを交えて伝え、様々な性行為の場面について、より安全な方法を提案している。
数ヶ月前、修道院の周りで鼻をすする、咳をする、顔をしかめる、掻く、おならをするという異常な現象が起きていることに修道院長が気づきました。何人かの尼僧たちは、金玉の痛み、腺の腫れ、喉の痛み、発疹、痙攣、しこり、足の間の疼きなどを訴えていました。
〜(略)〜
シスターたちは、多くの性感染症に悩まされていたようです。多くの修道女たちは、自分たちが風邪を引いたと思い込んでいた。残念ながら、私たちは健康問題に関して、個人と社会の責任について厳しいレッスンを受けることになるのです。
〜(略)〜
互いに手を取り合う前に、あなたの男性をチェックしましょう。あるシスターは、暗闇でのあまりに頻繁な出会いのために、懐中電灯を持ち歩いています。
「The Sisters Of Perpetual Indulgence(永久贖罪の尼僧たち)」は1979年、サンフランシスコのカストロ地区の3人のゲイ男性により誕生。
サンフランシスコのコミュニティ劇場での「サウンド・オブ・ミュージック」公演で修道女の衣装を手に入れた彼らは、性的不寛容の問題などに注意を集めるため、イースター・サンデーに宗教的なパロディとしての尼僧姿でカストロ・ストリートを歩き、注目された。
1982年までに多くの会員を抱えるようになり、募金活動、コミュニティへの働きかけ、イベント開催などで、セックス・ポジティブを中心に活発な活動を行った。そして、ゲイ男性の間でカポジ肉腫やその他の免疫異常が広がることへの不安が広がる中で、セーファー・セックスの必要性も訴えるようになった。
発足当初は「ゲイ男性修道女会」としていたが、現在はゲイ、ビアン、バイセクシュアル、ヘテロセクシュアル、トランスジェンダーなど多様なセクシュアリティの人が所属し、全米、そして世界にその働きを広めてきた。
また、亡くなったメンバーは、「Nuns of the Above(天上の尼僧)」と呼ばれている。
関連項目
- ボビー・キャンベル、「ゲイ癌ジャーナル」発行開始(1981年12月10日)
- サンフランシスコとニューヨークでキャンドルヴィジルを開催(1983年5月2日)
- キャンドル・マーチ、全米に広がる(1983年5月3日)
- デンバー原則、採択(1983年6月12日)
- ニューズウィーク誌が「ゲイ・アメリカ」を表紙に(1983年8月8日)
- 1,500人がエイズ対策資金を求めて行進(1983年10月8日)
- 初期のAIDS活動家ボビー・キャンベル死去(1984年8月15日)
参考・引用
7月4日
テレンス・ヒギンズの死(英国)
英国ウェールズ出身のテレンス・ヒギンズが、ロンドンのセント・トーマス病院で亡くなり、英国でエイズ関連の病気で死亡した初期の1人となった。享年37歳だった。
1945年、ウェールズで生まれたヒギンズはゲイとしての生活での息苦しさを感じ、10代でロンドンへ出、昼間は英国議会下院の公式記録係として働き、夜はナイトクラブのバーテンダーやDJとして活躍した。1970年代後半には、ニューヨークたアムステルダムでの仕事も入り、度々訪れていた。
1980年には、ヒギンズは原因不明の体調不良で旅のキャンセルも続いていた。1982年の夏、ロンドンのナイトクラブ「ヘブン」で仕事中に倒れ、入院。その後、ニューモシスチス・カリニ肺炎と進行性多巣性白質脳症のため、間もなく死去した。
また、彼が同性愛者であることも、さまざまな困難を生んでいた。彼の家族は、彼の生き方を知ってはいたが、それを否定し、関わりを持ちたがらなかった。その一方で、彼のパートナーであるルパート・ウィテカーは、法律上の近親者ではないという理由で、限られた接触しか許されず、すべての決定から排除された。
ヒギンズの死は、彼のパートナーや親しい友人たちに大きな衝撃を与えた。身近な人を失っただけでなく、自分たちが受けた仕打ちに愕然とし、怒りを覚え、このようなことが他の誰にも起こってはならないと決意し、パートナーのウィテカー、友人のマーティン・バトラー、トニー・カルバート、レン・ロビンソン、クリス・ピールらは、翌年の1983年に英国で初めてHIVの流行に対応したサービス機関であるテリー・ヒギンズ・メモリアルトラストを設立した。
参考・引用
- "HISTORY" STORIES | THE AIDS MONUMENT
- "1982. 4th July. The death of Terrence Higgins" GAY in the 80s
- "Terrence Higgins" Avert
- "1982. The Terrence Higgins Trust" GAY in the 80s
- Terrence Higgins Trust
- "Terrence Higgins Trust" WikipediA
- "HIV/AIDS in the United Kingdom" WikipediA
- "Timeline of HIV/AIDS" WikipediA
- "A History Of HIV And Human Rights In The UK" EACH OTHER
- "HIV in gay and bisexual men in the United Kingdom: 25 years of public health surveillance" National Library of Medicine
- "Terrence Higgins anniversary: Just 37% of people would feel comfortable kissing someone with HIV, polls say" London World
7月9日
32人のハイチ移民、日和見感染症&カポジ肉腫と診断
米国疾病管理予防センター(CDC)は羅漢率と死亡率週報(MMWR)で、最近米国に入国したハイチ人の間で日和見感染症やカポジ肉腫のクラスターが発生していると報告。
ハイチから米国への移民32人の間で、生命を脅かす危険がある日和見感染症とカポジ肉腫が発生し、その多くが過去2年以内の危険因子のない異性愛男性の移民であったと報告している。また、
また、ポート・オ・プリンスで受けたカポジ肉腫の報告を総合すると、異性間感染で発生した「疫学的に異なる症例である」と指摘。
数年後にCDCは報告書「AIDS:初期とCDCの対応」で、CDCはこれらの症例を「ハイチ移民」として公式に発表したことにより、誤って「AIDSのレッテル貼り」に関連する偏見を助長してしまったことを認めている。この偏見は、1980年代から1990年代にかけて、貧困と政治的迫害から逃れてきた数千人ものハイチ人移民を苦しめることになった。
1980年4月1日から1982年6月20日までの間に、19人のハイチ人が日和見感染症(ニューモシスチス・カリニ肺炎、の症状で、マイアミのいジャクソン記念病院に入院し、1人はカポジ肉腫も発症していた。19人のうち17人は男性、女性は2人で、発表の時点で、10人はすでに死亡していた。平均年齢は28歳だった。
1981年7月1日から1982年5月31日までに、ニューヨークのブルックリンに住むハイチ人10人(全員が22歳から37歳の男性)が、日和見感染症(ニューモシスチス・カリニ肺炎、クリプトコッカス髄膜炎または新菌血症、トキソプラズマ症、食道カンジダ症など)を発症し、うち5人はすでに死亡していた。
あとの3人は、カリフォルニア州、ジョージア州、ニュージャージー州の保険当局からの報告だった。
CDCは、ハイチ人患者を診る医師や医療関係者に対し、「この集団では日和見感染症が発生する恐れがあることに注意するよう」と警告してる。
参考・引用
7月14日
CDC、血友病患者に対し注意喚起
疾病管理予防センター(CDC)は、全米血友病財団(National Hemophilia Foundation)へ血友病患者注意報第1号で注意喚起を行った。
疾病管理予防センター(CDC)は、3人の血友病患者が、病気と闘う体の能力が低下した状態に関連する、まれで珍しい感染症を発症していたとの報告を発表しました。この3人の症例は、この疾患の発生率が異常に高く、未知の潜在的な免疫抑制剤の影響により発症した可能性があります。CDCが調査している仮説のひとつは、血液や血液製剤によって肝炎ウイルスと同様に感染するウイルスが原因である可能性があるというものです。
現時点では、この免疫抑制剤に感染するリスクは最小であり、CDCは血液製剤の使用を変更することを推奨していないことに留意することが重要である。
この問題を評価する目的で、米国保健社会福祉省内に専門家によるブルーリボン委員会が設置されています。全米血友病財団(NHF)の医療共同ディレクターであるルイ・アレドール博士は、この委員会に参加する予定です。CDCは委員会の作業と同時に、NHFおよび血友病治療センターと緊密に連携し、慎重に計画された監視および報告システムを確立し、新しい進展についてNHFに報告する予定です。NHFは皆様に情報を提供し続けますが、繰り返しますが、CDCは現時点では治療法の変更を勧めていません。
CDCは、重要なお知らせとして、以下のように述べている。
- CDCは、現時点では治療法の変更を勧めていないことを忘れないでください。
- 疑問がある場合は、かかりつけの医師または血友病治療センターにお問い合わせください。
- または血友病治療センターへお問い合わせください。
参考・引用
7月16日
血友病患者の最初の報告
米国疾病管理予防センター(CDC)は羅漢率と死亡率週報(MMWR)で、血友病患者のニューモシスチス・カリニ肺炎の3人の症例を報告。
3人の患者のうち、2人は発表の前にすでに死亡、1人は危篤状態で、3人とも異性愛者であり、静脈内薬物乱用の既往歴もなかった。
しかし、3人の患者が共有する臨床的・免疫学的特徴は、AIDSの既知の危険因子である「同性愛者男性」「薬物を乱用する異性愛者」「ハイチからの移民」の患者のものと著しく似通い、血液製剤を介した薬剤からの感染の可能性を示唆していた。
3人が患っていた血友病とは、血液を固める“血液凝固因子”と呼ばれるものに異常が生じ、出血が止まりにくくなる病気であり、その多くは性連鎖性遺伝性疾患です。血液凝固因子の1つである第VIII因子が不足している血友病Aと、第IX因子が不足している血友病Bと呼ばれる2つのタイプがあり、足りなくなった血液凝固因子を血液凝固因子製剤によって補う治療が行われ、米国には当時推定約2万人の患者がいたと言われている
第VIII因子欠乏症の場合には、新鮮凍結血漿から作られた凍結沈殿物、またはドナーから集められた血漿プールから製造された凍結乾燥第VIII因子濃縮物のいずれかの静脈内投与する治療が行われていた。
この発表は、血友病患者での免疫不全の最初の報告となった。
全米血友病財団(NHF)はCDCの発表を受け、「血友病ニュースノート」の「Q&A」で、AIDSへの感染不安のために濃縮製剤の使用を抑制することは適当ではないと発表。
その理由として、2万人の血友病患者のうち4名の報告しかない、稀な病気であること。
現時点で、濃縮製剤とクリオの間で危険性が異なるという裏付けがないことが挙げられた。
参考・引用
- "HISTORY" STORIES | THE AIDS MONUMENT
- "A Timeline of HIV and AIDS" HIV.gov
- “HIV Historical Timeline” PEPFAR
- "Epidemiologic Notes and Reports Pneumocystis carinii Pneumonia among Persons with Hemophilia A" MMWR CDC
- 「薬害エイズ関連文献等リスト」ライフ・エイズ・プロジェクト(LAP)
- 「薬害エイズ年表」社会福祉法人はばたき福祉事業団
- 「血友病ファクトシート」活きる力を育てましょう
- "The 80s" HFA(Hemophilia Federation of America)
- 「薬害エイズ問題から見えてくるもの - 医療安全の視点からの検証と教訓」第19回日本エイズ学会シンポジウム記録
7月18日
ワシントン・ポスト紙、免疫力を破壊する致命的な病気の流行を報道
ワシントン・ポスト紙は、これまでに例のない、正体不明のヒトの免疫力を破壊し、多くは死に至る病気の流行を報道。
今回の犯人はレジオネラ菌などと違い、何ヶ月も何年もかけてゆっくり現れ、人間にも動物にも似たような病気はなく、一人の患者の細胞検査には何ヶ月もかかると伝える。
CDCタスクフォースのブルース・エバット氏は、「この病気にかかった人のほとんどは、他の日和見感染症にかかるまで、自分がこの病気にかかっていることに気づかないことは明らかです。これらの人々は、歩く時限爆弾のようなものです」と紹介。
「同性愛者の場合は経口や精液を介して感染し、薬物中毒者の場合は血液が付着した注射針の受け渡しによって感染し、病気が広がる原因として、血友病患者の場合は、血液銀行から入手した濃厚な血液を毎日摂取しないといけないことから、血液や体液を介して感染する病原体、おそらくウイルスが犯人であろう」という、CDCのケネス・ハーマン医師の説を紹介。
「しかし、その謎の物質がウイルスでない可能性もある。あるいは、ウイルスであったとしても、培養して増殖するようなものではないのかもしれない。あるいは、検査で見落とされるほど微量に存在するのかもしれない。疑惑を挙げればきりがない」と研究者の当惑を伝えている。
CDCタスクフォースのディレクター、ジェームズ・カラン氏は、CDCが指す「同性愛者男性」「薬物を乱用する異性愛者」「最近米国に入国したハイチ人」「血友病患者」の4つのグループを主に襲っているが、さらに感染するグループがあるかもしれないし、他のグループでも人々は死に続けるだろう」と紹介。
しかし、CDCの感染症担当の副所長ジョン・ベネット博士の、「未知の病原体による死亡の可能性があるということだが、今、ほとんどの人にとって直ちに脅威となるものではないことを明らかにすべき」とのコメントを掲載。
参考・引用
7月20日
「『免疫性』壊す奇病、米で広がる」毎日新聞
毎日新聞朝刊国際面に「『免疫性』壊す奇病、米で広がる」という、ワシントン・ポスト紙から引用した3段見出しの小さな記事が出た。
これまでその存在すら全く知られていなかったもので、まだ病名もなく、カポシ肉腫やカリニ肺炎など特殊で致命的な病気を発症する不思議な病気がアメリカでじわじわと広がり、1年間に少なくとも184人が命を落としたと報道。
記事では、病気の症状を紹介し、「感染性の病ではない」「人間の免疫システムを破壊してしまう」と報じ、患者についてはほとんどが同性愛好者の若い男性だったが、重度の麻薬常習者や血友病患者などに広がり始めていると報じた。
HIV陽性者支援などに取り組む神戸のNGO団体「BASEKOBE」代表の繁内幸治氏は、当時の様子をこう振り返る。
当時、一番ショックだったのは馴染みのスナックに行ったときのことです。旧知のお客さんが『このビルの3階にゲイの店があるらしい。ウイルスが建物の空気ダクトを通じてばら撒かれるかもしれんな』と言ったんです。
今でこそ私はゲイだと明らかにしていますが、当時はゲイだと判明したら社会的に抹殺されるほど差別的な扱いを受けていました。
参考・引用
7月23日
7月27日
AIDS命名
米国厚生省(HHS)が主催し、米国疾病管理予防センター(CDC)、血液業界、全米血友病財団(NHF)、ゲイ・コミュニティのリーダー、米食品医薬品局(FDA)、国立衛生研究所(NIH)、米国赤十字社(ARC)等、関連団体の代表が一堂に集まり、ワシントンで会議を行った。
会議では、血友病患者のAIDS症例と、男性同性愛者、薬物中毒者、ハイチ移民など他のリスク群のAIDS症例の詳細なデータ比較と仮説的リスクの比較が行われ、血液を介した感染症のみが共通するリスクであることを提示したが、まだ「この病気が本当に感染症であるという公式な証拠」が無かったため、コンセンサスを得ることはできなかった。
東海岸や西海岸の大都市ではゲイ男性が主な献血者であったが、ゲイ・コミュニティーは、ゲイ男性を除外することは、ゲイ男性が本当に病気を媒介するという証拠がない限り、不必要に負の烙印を押すことになるため、ドナーからの除外には強く反対した。
血液業界は、多くのドナーを失うことに危機感を持ち、「3人の血友病患者がこの症候群にかかったからといって、募集やスクリーニングの方法を変えるために何百万ドルも費やす必要はない」と、この問題に対してはゲイ・コミュニティーの立場を強く支持。
全米血友病財団(NHF)は、血友病患者の免疫低下のデータは血液製剤の長期使用の影響の可能性があり、必ずしも新たな病気でとの関連に懸念を表明。同時に、ゲイ男性の患者に関連する病気である汚名を着せられることを恐れ、また、凝固因子濃縮製剤の使用を減らすことで、濃縮製剤治療以前の早死などの古い問題が蘇ることを懸念。
血液産業の監督官庁である米食品医薬品局(FDA)は、免疫不全に関連する疾患の集合体を一つの疾患と認めておらず、血友病患者がリスク・グループのひとつであることに懐疑的だった。
結局、会議は物別れに終わったが、統一した名称を持たなかった新しい病気に対し、AIDS(Acquired Immuno-Deficiency Syndrome/後天性免疫不全症候群)と命名することを決定したことは、大きな成果だった。
特にゲイ男性や麻薬中毒患者の間で急速に流行し、原因不明の重篤な日和見感染症患者の集団発生を表現するために、一部の人々によって「GRID(Gay-related immune deficiency/ゲイ関連免疫不全症候群)」「ゲイ癌(Gay Cancer)」「ゲイ・ペスト(Gay Plague)」「痩せ病(Slim Disease)」等とラベル付けされ、差別・偏見の源にもなっていた。
そこで、一部のグループを標的とした排他的な表現ではなく、あくまでも病気そのものの性質を表現した表現のAIDS(Acquired Immuno-Deficiency Syndrome/後天性免疫不全症候群)という呼称に統一することには、合意を得ることができた。
このAIDSという新しい名称により、この病気がゲイ男性の問題だけではなく、調査の幅を広げることにまった。
参考・引用
8月17日
9月14日
9月24日
米国疾病管理予防センター(CDC)が初めて「AIDS」という言葉を使用
米国疾病管理予防センター(CDC)は新しい「羅漢率と死亡率週報」(MMWR)で、初めて「AIDS(Acquired Immune Deficiency Syndrome)」という名称を使用し、AIDSの最初の症例定義を発表した。
免疫力の低下と日和見感染症の発症が中程度に予測される疾患であり、その病気に対する抵抗力を低下させる原因が特定できない人に発生する病気であると定義。そのような病気には、カポジ肉腫、ニューモシスチス・カリニ肺炎、その他の深刻な日和見感染症が含まれるとされた。
診断については、組織学、または培養などの充分に信頼できる方法に基づく場合にのみ、AIDSの症例とみなされるとしている。
しかし、この症例定義は充分ではなく、症状が現れないものから、発熱、体重減少、全身性持続性リンパ節腫脹などの症状や、結核、口腔カンジダ症、帯状疱疹など、免疫不全を引き起こすだけではなく、がんや肉腫を生じるようなモニタリングに含めるべきAIDSの症状が含まれていない可能性があった。
逆に、免疫不全を中程度にしか予測出来ない疾患によってAIDS患者と診断される患者の中にはAIDSではない可能性も含まれるようだった。
ただ、この時点では信頼性が高く、安価で、広く利用可能なAIDS検査方法がなかったため、この定義に頼る他はなかった。
参考・引用
- "Current Trends Update on Acquired Immune Deficiency Syndrome (AIDS) --United States" MMWR CDC
- "HIV and AIDS Timeline" National Prevention Information Network
- "HISTORY" STORIES | THE AIDS MONUMENT
- “A Timeline of HIV and AIDS” HIV.gav
- "Defining ‘AIDS’" Avert
- “HIV/AIDS Timeline” NEW YORK CITY AIDS MEMORIAL
- 「薬害エイズ関連文献等リスト」ライフ・エイズ・プロジェクト(LAP)
9月28日
AIDS研究法案が米国議会で提出されるも否決
フィリップ・バートンとテッド・ワイスの両議員が、AIDS研究のための資金配分のための最初の法案を提出したが、決議は委員会で否決された。
議会がAIDS研究・治療のための最初の専用資金を承認するのは、1983年7月まで待たなくてはいけなかった。
参考・引用
10月
ロサンゼルスに民間のAIDSホットライン
ロサンゼルス・ゲイ&レズビアン・コミュニティ・サービス・センター(現在のロサンゼルスLGBTセンター)で緊急ミーティングが開催され、サンフランシスコのカポジ肉腫財団の代表者から、流行が拡大しているGRID(ゲイ関連免疫不全症)についての講演があった。
このミーティングに参加した、後にナンシー・コール・サワヤ、マット・レッドマン、アーヴィン・マンロー、マックス・ドリューの4人(後のAIDS Project Los Angeles:APLAの創設者)は、新しい病気に対する恐怖が急速に広がり、パニックに陥ったロサンゼルスのゲイ・コミュニティからの質問に答えるため、ロサンゼルス・ゲイ&レズビアン・コミュニティ・サービス・センターのクローゼットというスペースでホットラインを開設した。
入手可能な情報を集め、10月後半からジョエル・ワイズマン博士のトレーニングを受け、最初のグループには創設者の4人と8人のボランティアが参加。最初のホットラインのオフィスは、文字通りコミュニティセンターのクローゼットで、ボランティアは電話1本に応対し、1ページのファクトシートから情報を読み上げるだけだったが、このホットラインの評判はすぐに広まり、1日に20件以上の電話がかかってくるようになった。
地域社会への啓蒙と病気の蔓延防止に資金が必要だと考えた創設者たちは、他の友人たち(APLAの初期のボランティアの多くとなった)の協力を得て、ベルエアの個人宅で25ドルの「クリスマス・プレゼント」を開催。音楽はマザーロードのDJスチュワート・バーカルが担当し、軽食は地元のレストランから提供され、トリュフ・オーナーのスティーブ・ウィルソンがコーディネートした。このパーティーでは7000ドル以上の寄付が集まり、これが新しい組織の設立資金となった。
その後まもなく、運営委員会が選出され、AIDSが単なるゲイの病気ではないことを認識した創設者たちは、この組織をAIDSプロジェクト・ロサンゼルスと名付けることにした。1983年1月14日、最初の理事が選出された。
ハリウッドのコール・アベニューに最初のオフィスを構え、HIV/AIDSとともに生きる人々のための教育・支援サービスを提供する南カリフォルニアで最も歴史のある大きな組織となった。
参考・引用
10月1日
10月15日
ホワイトハウスでのブリーフィングで、AIDSに関する質問が嘲笑を誘う
ホワイトハウスのプレス・ブリーフィングで、記者のレスター・キンソルビングがラリー・スピークス報道官に尋ねた。
記者「アトランタの疾病管理センターから発表された、AIDSが流行し600人以上の患者がいるという発表について、大統領は何か反応を示していますか?」
報道官「AIDSとは何ですか?」
記者「その3分の1以上が死亡して、『ゲイのペスト』として知られています。」
会場全体で笑いが起こる
記者「いや、そうなんですよ。つまり3人に1人が感染して死亡するという、かなり深刻なものです。大統領はそのことをご存知なんでしょうか?」
報道官「私は感染していないですね。あなたはどうですか?」
再び笑いが起こる
記者「感染していないと聞いて安心しましたよ。」
再び笑い
報道官「あなたは?」
記者「感染していません。つまり、ホワイトハウスはこれを大げさなジョークと見ているんですか?」
報道官「いや、私は何も知りません。いったい何が問題?」
記者「大統領も、ホワイトハウスの誰もこの伝染病のことを知らないということですか?」
報道官「そうですね。私は何事もないと思っています。」
記者「誰も知らない?」
報道官「ここは個人的な話をする場ではありませんよ。」
ロナルド・レーガン大統領図書館に所蔵されている記者会見の記録は、政府高官やジャーナリストがLGBTQコミュニティをどのように見ていたかを鋭く突いているものである。
2015年12月1日、Vanity Fairは、この悪名高いやり取りについて、スコット・カロニコによる短編ドキュメンタリーを公開した。
レーガン大統領がAIDSについて言及するのは1985年になってから。それも記者会見で記者の質問に答えただけだった。そして1987年半ばまで、この流行について大きな演説をすることはなかった。その時、アメリカではすでに20,849人が亡くなっていた。
参考・引用
11月5日
医療関係者向けにAIDS予防策を作成
米国疾病管理予防センター(CDC)は、AIDSの兆候を示す人々に関わる臨床および検査スタッフに対する最初の予防対策「臨床・検査スタッフへの注意事項/Current Trends Acquired Immune Deficiency Syndrome AIDS」を作成Mし、「空気感染や日常的な接触による対人感染はあり得ないと思われる」と指摘した。
臨床・検査スタッフへの注意事項
AIDS症例に見られる根本的な免疫不全の病因は不明である。
現在の観察と一致する仮説の1つは、伝染性物質が関与している可能性があるということである。もしそうなら、伝染性物質の伝播は、最も一般的に、同性愛者男性間の性的接触、または静脈内薬物乱用者やおそらく血液製剤を使用している血友病患者の間で起こるような非経口拡散など、粘膜表面を含む親密で直接的な接触を必要とするように見える。日常的な接触による空中拡散と対人感染拡大は可能性が低い。これらのパターンは、B型肝炎ウイルスの病気の分布と拡散モードに似ており、B型肝炎ウイルス感染はAIDS症例の間で非常に頻繁に発生する。
現在、影響を受けた患者や臨床検体との接触から病院職員へのAIDS感染の証拠はない。しかし、伝染性物質の可能性についての懸念から、実験動物を含む作業者を含む患者ケアおよび検査員を導くための暫定的な提案が適切である。現在、病院職員は、AIDS患者の世話をする際に、血液で汚染されている可能性のある血液や体液が感染性と見なされるB型肝炎ウイルス感染患者に使用されるものと同じ予防措置を講じることが賢明であると思われる。
具体的には、患者ケアおよび検査室の担当者は、皮膚および粘膜が血液、血液製剤、排泄物、分泌物、およびAIDSに感染している可能性が高いと判断された人の組織との直接接触を避けるために予防措置を講じる必要がある。
以下の予防措置は、AIDS患者の外来診療、歯科治療、手術、検死、または血液透析に特に対処していない。一般的に、B型肝炎ウイルスに感染していることが知られている患者に適した手順が推奨され、AIDS患者の血液や臓器を寄付すべきではない。
以下の予防措置は、以下の人からの人および標本に推奨される。根本的な免疫抑制疾患または治療に関連していない日和見感染症、カポジ肉腫(60歳未満の患者)、慢性一般化リンパ節腫症、原因不明の体重減少および、またはAIDSのリスクが明らかに増加したグループに属する人における原因不明の発熱(同性愛男性、静脈内薬物乱用者、ハイチ人、血友病患者)、AIDSの可能性がある検査入院。
病院や研究所は、以下の推奨される予防措置を個々の状況に適応させる必要があります。これらの推奨事項は、病院が追加の予防措置を実施することを制限するものではない。
〜以下、具体的な予防策が続く
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11月8日
エイズ活動家がニューヨークのコミュニティーに警告
マイケル・カレンとリチャード・バーコウィッツは、ニューヨーク・ネイティブ紙の記事、「We Know Who We Are(私たちは、自分たちが何者であるかを知っている)」の中で、AIDSに感染する危険因子として「過度の乱交」を指摘した。
カレンのパートナーのリチャード・ドウォーキンの協力を得て記事を書いたカレンとバーコウィッツは、ともにAIDSに苦しむニューヨーカーであり、AIDSが急速に進行し、知人が命を落とすのを目の当たりにした2人は、「命を救うために何かしたい」と考えていた。
彼らは記事の中で、「心の底では、自分たちが何者で、なぜ病気なのかを知っている」と書き、サイトメガロウイルスなどの感染症に再感染した影響について、読者に警告を発している。
ゲイ男性が次々に病気になる理由は、バスハウス、バックルーム、バルコニー、セックスクラブ、ミートラック、ティールームといった都会のハッテン場で過剰な乱交をする生活を送っているからだと彼らは推論している。
カレンとバーコウィッツは、AIDSは「尻軽なライフスタイル」に関連する要因、つまり薬物の使用や複数の性的パートナー、他の性感染症に繰り返しさらされることが原因であると主張した。
この記事の掲載後、ニューヨーク・ネイティブの読者やトロントの新聞『Body Politic』など北米のゲイ専門誌から怒りの批判が殺到し、カレンとバーコウィッツはゲイ・コミュニティに不必要なパニックを起こし、ゲイ解放運動の流れに逆行する行為だと非難された。
「80年代のゲイ」の著者のコリン・クリューズは、この記事が批判されたのは「科学的根拠はなく、AIDSにかかったすべてのゲイがいわゆる『乱交』な生活を送っていたと仮定しているからだ」と述べている。それでも、この記事は多くの人に警鐘を鳴らし、読者にとって有益な情報を提供するものだった。
ニューヨーク、サンフランシスコ、ロサンゼルスなどの大都市圏に住む人や、頻繁に訪れる人は、病気の男性とセックスする可能性が高いのです。
病気の男性とセックスをすれば、あなたも病気になるかもしれない。
また、この記事には次のような先見の明のある提言もあった。
自分の体がどのように機能するのか、特に免疫反応について、自分自身を学ぶ必要があります。健康について学び、特にAIDSに現在の流行について知ることが大事です。
私達は、お互いに助け合ってセックスのより良い方法を探す必要があります。テレフォンセックスよりもよい方法が必ずあるはずです。
私達には、サポート・グループの結成が必要です。グループ・セラピーや個人セラピーなどの、明らかに困難な変化の時代を生き抜くための手段を検討する人も出てくるでしょう。
それでも、コミュニティからの批判は彼らにはショックだった。その後、数ヶ月間、カレンは自分自身の健康と友人の健康と生活に注意を向けていた。
しかし、バーコウィッツはめげずに新しいプロジェクトを開始し、やがて46ページの画期的な小冊子『How to Have Sex in an Epidemic(病気が流行ったときのセックスの方法)』を出版した。カレンはやがてバーコウィッツとともに新しいプロジェクトに取り組み、二人はニューヨーク・ネイティブ紙の記事への反応から学んだことを生かし、AIDSへの認識を深めるためのまったく新しいアプローチを開発することになる。
1983年夏に出版された『How to Have Sex in an Epidemic』は、コミュニティで受け入れられ、やがてゲイ男性の性習慣に広く影響を与えることになる。
参考・引用
11月15日
12月3日
FDA血液製剤諮問委買会で血液製剤とエイズとの関係について論議
米食品医薬品局(FDA)の血液製剤諮問委買会が12月3日・4日の両日に開催され、赤血球輸血についての最新の知見の評価・検討並びに血漿分画製剤、特に血液凝固因子製剤の伝染性を減少させる計画についての検討が行われた。
議論は、B型肝炎対策が中心だったが、血液製剤とAIDSとの関係についても論議し、以下の事柄を捉案。
- AIDSの危倹性を減少させるためのクリオ製剤の信頼性を高める
- より感染性の低い第VIII因子製剤及び第IX因子製剤の開発
- 潜在的なハイリスクドナーの排除
但し、同委貝会は、この時点で、生物学的製剤に係る基準のいかなる変更も規制もしないとしていた。
クリオ製剤とは?
血液凝固第Ⅷ因子欠乏症の血友病Aの患者における出血時の止血のために用いられていた製剤。
軽度の出血には効果あったが、不純物も多く、重篤な出血には不向きだった。そのため、全血輸血から第Ⅷ因子濃縮製剤に至る過渡期の製剤として使われていた。
参考・引用
12月4日
12月10日
血友病A患者のAIDSに関する最新情報
米国疾病管理予防センター(CDC)は「羅漢率と死亡率週報(MMWR/Morbidity and Mortality Weekly Report)」で、7月に報告された日和見感染症を発症した3人の血友病患者は、その後、全員亡くなり、新たに4人のAIDS患者とl名の疑似患者が発生したと報告。
5人は、お互い、同性愛者、違法薬物乱用者、またはハイチ移民との接触を通じて感染した可能性はなく、患者はすべて第VIII因子濃縮物を受けており、1人を除く全員が他の血液成分も受けていた。
これらの症例は、米国の血友病患者への重大な危険を示し、特に新たな患者のうち2人は10歳以下であり、血友病の子供が危険にさらされていることへも警告している。
国立血友病財団(NHF)と米国疾病管理予防センター(CDC)は、過去5年間のAIDS関連疾患の有病率を推定し、血友病患者の間で積極的な監視を提供するために、血友病治療センターの全国調査を実施。
また、医師へは、血友病患者の疑わしい疾患を、地方および州の保健局を通じてCDCに報告し続けることを奨励している。
参考・引用
輸血による小児エイズ症例に関する最初の報告
CDC(米国疾病管理予防センター)のMMWR(羅漢率と死亡率週報)「疫学的留意点と報告可能な輸血関連後天性免疫不全症候群(AIDS)の可能性について-カリフォルニア(Epidemiologic Notes and Reports Possible Transfusion-Associated Acquired Immune Deficiency Syndrome (AIDS) -- California)」で、1981年3月3日に帝王切開で生まれた乳児は、4日間に6回の輸血を受けたと報告。その後、乳児に輸血された血液は、HIVに感染していた男性からのものであることが判明した。
CDCの報告書は編集注で、「血小板輸血にAIDSの病因が含まれていた場合、その病因は症状が出る前にドナーの血液中に存在する可能性があり、そのような病気の潜伏期間は比較的長いと考えなければならない」と述べ、「このAIDS感染モデルは、南カリフォルニアの同性愛男性の間で発生した性行為に関連したAIDS患者群の調査で得られた知見と一致している」と報告している。
決定的な臨床検査がないため、この乳児の病気の解釈は慎重に行う必要があるとしている。
参考・引用
12月17日
CDCはさらに小児の22症例を報告
乳児の発症例を発表した翌週のCDC(米国疾病管理予防センター)のMMWR(羅漢率と死亡率週報)で、輸血を受けていない4人の乳児の免疫不全の症例を、背景も含めて報告。
1人の乳児の母親は売春婦であり、静脈内麻薬の使用者であった。
2人はハイチからの移民の子どもである。
4人めはAIDSで死亡した静脈内麻薬使用者の女性の子どもであった。
4例で説明された免疫機能の性質は不明であったが、報告書は、乳児がAIDSの感染性病原体に感染していた可能性が高く、母親の1人がニューモシスチス・カリニ肺炎で死亡した症例では、おそらく子宮内もしくは出生時での母子感染である可能性を示唆している。
また、日和見感染症で亡くなった6人の幼児と、生命を脅かす日和見感染症のない免疫不全の1歳から4歳までの12人の症例も報告。
CDCは、AIDSの病因は不明のままであるが、一連の疫学的観察からこれらの状態は感染性病原体によって引き起こされたことを示唆していると述べている。
参考・引用
12月23日
1982年の米国での感染者数
米国でのAIDSでの死者数:466人
新規感染者数(推定値):64,900人
総感染者数(推定値):106,000人
「米国での死者数」は、CDCの「U.S. HIV and AIDS cases reported through December 2001 」を参考にしています。
新規感染者数と総感染者数は、CDC National Prevention Information Networkの「HIV and AIDS Timeline」の数値を参考にしています。
HIV新規感染者数の年間推定値を算出する方法は年々変化し、1980年から2006年まではHIV感染者数は逆算方式で算出されていた。2006年から2010年までは、HIV感染症調査を実施した地域が収集した最近のHIV感染の検査結果およびHIV検査履歴データを用い、層別外挿法を適用した統計手法によりHIV感染症が推定。
参考・引用
1982年(昭和56年)の世相
邦楽ヒット曲と流行語
- 邦楽ヒット曲:
- 1位:待つわ(あみん/101.8万枚)
- 2位:セーラー服と機関銃(薬師丸ひろ子/83.5万枚)
- 3位:聖母たちのララバイ(岩崎宏美/78.5万枚)
- 4位:心の色(中村雅俊/69.7万枚)
- 5位:北酒場(細川たかし/6438万枚/日本レコード大賞/日本有線大賞)
- 6位:悪女(中島みゆき/62.4万枚)
- 7位:ハイティーン・ブギ(近藤真彦/60.7万枚)
- 8位:チャコの海岸物語(サザンオールスターズ/55.7万枚)
- 9位:情熱・熱風・せれなーで(近藤真彦/55.6万枚)
- 10位:ふられてBANZAI(近藤真彦/53.0万枚)
- 流行語
タイトルや解説等の中で差別的な表現が含まれる場合がありますが、当時のHIV/AIDS、セクシュアルマイノリティなどに対する状況を知っていただきたいと思い、そのままの表現を使っています。