ケンちゃんとリボン先生のHIV・エイズ基礎講座
「2021年はレッドリボン30周年」編
Lesson 5-4レッドリボン誕生!
幸せの黄色いリボン
「アートのない日」や「光のない日」といったビジュアル・エイズの活動は、多くの人がタブー視しているエイズの問題を誰も避けては通れないというメッセージになったんだ。
アメリカのアーチストの行動力はすごいね!
たかしにすごいけど、それだけ追い詰められていたということでもあるんだ。
そうか、生きるか死ぬかって命の問題だもんね!
ビジュアル・エイズのメンバーは、もっと誰もが共感できて、誰もが参加できる視覚的なシンボルがないかって模索していたんだ。
うんうん!
ちょうど同時期に起こった1991年のイラク戦争のときに、戦地に送った兵士の家族や恋人が樹木に黄色いリボンを結んで無事を祈るムーブメントがあったんだ。
へ〜!
そういえば「幸せの黄色いリボン」って歌がなかった?
1973年にアメリカのドーンというポップス・グループが大ヒットさせて、世界中でカバーされて、日本でも今でもCMで使われている名曲ね!
それそれ!
歌詞は、3年の刑期を終えて故郷に帰る男が恋人に手紙を送るんだ。もし自分を待ってくれているんだったら、古いオークの木に黄色いリボンを結んでおいてほしいと書いてね。
もしリボンがなかったらバスから降りずに恋人のことは忘れるつもりだったけど、いざ目的のバス停が近づくと自分で見るのは怖いからバスの運転手に見てもらうんだ。するとバスの乗客から歓声が上がるんだ。
窓の外を見ると100個もの黄色いリボンが結ばれていたというお話。
なんかいい話!
日本では高倉健主演、山田洋次監督で「幸せの黄色いハンカチ」って映画にもなってるんだ!
すご〜い!
この歌には元があって、19世紀から歌われているアメリカの民謡で「黄色いリボン」って曲があるんだ。1949年の名作西部劇映画「黄色いリボン」の主題歌にもなって、これも映画音楽の名曲になってる。
ほほう!
こちらも遠くにいる恋人を想って黄色いリボンを見に付けている女性を歌っているんだ。
なるほどね〜!
黄色いリボンのルーツ探しは本題じゃないから、ここらでストップするけど、「思いを伝えるリボン」というのが大きなヒントになったんだ!
ふむふむ!
ビジュアル・エイズのミーティングで、一般の人やニューヨーク以外の地域の人が連帯を表すために何をしたいか、また参考になるものはないかと話している中で黄色いリボンの話が出てきたんだ!
おっ、リボン先生誕生の瞬間!
おっと、まだまだ!
なぜ赤?
リボンを身につけるのはいいけど、色はどうするって話になるんだ。
確かに、それは問題。
黄色だと違う意味になっちゃうもんね!
そこで、いろんな色が候補に上がるんだ。
ケンちゃんなら、どんな色を提案する?
そうね、ゲイの問題だから、ピンクやレインボー・カラーなんてどう?
たしかに「ゲイのがん」や「ゲイ・クライシス(ゲイの危機)」とも言われていたから、その色も候補に上がったんだけど、ゲイ・コミュニティーをイメージする色は却下になったんだ。
え〜、どうして?
だって、HIV陽性者や、エイズで闘病したり亡くなったりしたのは、ゲイばかりじゃないよね!
だからエイズはセクシュアリティーに関係なく、すべての人に関わりにある問題だと表現したかったんだ!
そうか、だったら却下は当然ね!
血の色、情熱の色、怒りの色、バレンタインのような愛を色で表現したいってことで、赤になったんだ!
それで赤なんだ!
リボンを切って安全ピンで止める!
色が赤に決まると、今度は形!
ほほぅ〜!
リボンを切ってピンで止めるだけって、あまりインパクトがないっていうか、彼らはアーティストの集まりだからね!
それだと、シンボルって言えないよね。
確かに!
そこで彼らは考えたんだ。
そしてリボンを6インチの長さに切って、くるっとループを作って安全ピンで衣服に止める、これがビジュアル・エイズのメンバーが考え出した基本形。
どこでも手に入る赤いリボンと安全ピンだけだから、だれでも簡単に作れるね!
素材と色と形が決まると、彼らは「リボンビー」と呼んでた集まりで、友人や支援者たちとたくさんリボンを作ってニューヨークのアートギャラリーや劇場などに配っていたんだ。
ついにリボン先生の誕生だね!
そう!
ここがレッドリボンの原点ね!