ケンちゃんとリボン先生のHIV・エイズ基礎講座
「2021年はレッドリボン30周年」編
Lesson 5-5レッドリボン、世界に拡散!
ブロードウェーが動いた!
色や形が決まって動き始めたレッドリボン、1991年の5月中旬、ビジュアルエイズのメンバーの1人が、トニー賞の受賞者たちがリボンを付けてくれたら素晴らしいって、大胆なアイデアを思いついたんだ!
トニー賞?
トニー賞というのは、1947年から毎年開催されている、アメリカで最も権威のある演劇・ミュージカルの賞なんだ。
映画のアカデミー賞みたいなもの?
そうだね。
映画の最高賞がアカデミー賞なら、舞台の最高賞がトニー賞なんだ。
そんな権威ある場にチャレンジ!
それも開催の、なんと2週間前の話!
へ〜!
そりゃ無茶だわ!
ビジュアルエイズのメンバーの中には衣装デザインや舞台美術関係など、ブロードウェイの舞台と繋がりのある人も多かったんだ。
メンバーのひとりが「昔の恋人がそこで働いていて、僕に借りがあるんだ」言い出して、そこから繋がっていったみたいなんだ。
借りがある昔の恋人!
でも2週間前って…
彼らは、賞のプレゼンターやノミネートされているスターなどにリボンを付けてもらえるようトニー賞のプロデューサーを説得し、賞の関係者全員にリボンを配ることができたんだ!
昔の恋人、がんばった!
1991年6月7日の夜、いよいよ第45回トニー賞授賞式が始まり、ビジュアルエイズのメンバーも全米に生放送された授賞式をテレビにかじりついていて見ていたんだ。
果たして本当にリボンを付けてくれているのか、まだ分からなかったからね。
う〜、ドキドキの瞬間!
授賞式の最初に登場したのは、司会のジェレミー・アイアンズ。
タキシードの襟には、レッドリボン!
おぉ〜!
プレゼンターも受賞者も、みんなリボンを付けていたんだ!
授賞式が終わる頃には、逆にリボンを付けていない人のほうが目立ったくらいなんだって!
やったぁ!
面白いことに、このリボンのことを誰も説明しなかったんだ。
え〜、なんで?
せっかくみんな付けてくれていたのに!
エイズについて話そうとするとコマーシャルを入れるって脅かしがあったという噂もあるんだけど、当時はエイズについて口にすることはタブーだったんだ。
そうなんだ…
でもトニー賞のインパクトは絶大で、翌日の新聞に謎の赤いリボンとその意味についての記事が掲載され、大きな話題になり、映画のアカデミー賞、音楽のグラミー賞、テレビのエミー賞などの有名な授賞式、スポーツイベント、政治集会、トークショー、ミュージックビデオなど、ありとあらゆる場面で登場するようになったんだ!
一気に広まったんだね!
フレディー・マーキュリーの衝撃!
この年1991年11月、世界中に衝撃的なニュースが流れたんだ。
それは?
11月24日、クイーンのリードボーカルのフレディー・マーキュリーがHIV感染を発表、その翌日にAIDSで亡くなってしまったんだ!
映画の「ボヘミアン・ラプソディー」の人ね!
ロックのスーパースターのAIDSでの死の衝撃は、世界中を悲しみで包み、翌年の1992年4月20日、ロンドンのウェンブリー・スタジアムで伝説的な追悼コンサートが開催されるんだ。!
伝説的?
このコンサートは、残されたクイーンの3人のメンバーが中心となって、AIDS啓発のためのチャリティーとして行われたんだ。
収容人数72,000人分のチケットは2時間で完売、世界中のビッグ・アーチストが集まって、AIDSへの理解を促す最初の大規模なコンサートになったんだ。
72,000人分のチケットが2時間で完売!
マスコミなどの関係者でもチケットを購入して初めてパスが発行される徹底したチャリティーで、コンサート・グッズ、CDの収益など50億円以上も集まったとされ、最終的な金額は現在進行中。
集まった収益金はすべてフレディー・マーキュリー基金に寄付されたんだ。
このコンサートではエルトン・ジョンやデビッド・ボウイ、ジョージ・マイケルなどのロック界のレジェンドだけじゃなく、ミュージカル・スターのライザ・ミネリや、エイズ問題の活動家としても有名だったハリウッドの大女優エリザベス・テイラーなどショービジネスのレジェンドも参加して、10万本以上のレッドリボンが聴衆にも配られたんだ!
レッドリボンの運動は一気に世界に広がって、日本でも当時クイーンのファンが集まってリボンを作り、普及に取り組んでいたんだよ!
すごいな、見てみたいな!
ブルーレイやDVDも発売されているよ!
探してみよっと!